大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 平成2年(ネ)330号 判決

控訴人

永目隆敏

右訴訟代理人弁護士

竹中敏彦

林健一郎

加藤修

被控訴人

学校法人尚絅学園

右代表者理事

宇野精一

右訴訟代理人弁護士

塚本安平

塚本侃

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原判決中控訴人に関する部分を取り消す。

2  被控訴人が昭和五九年三月二六日控訴人に対してなした雇傭契約の更新拒絶の意思表示(解雇)は無効であることを確認する。

3  被控訴人は、控訴人に対し、金二〇五万三二七〇円及び昭和六〇年二月以降毎月二一日限り金二〇万五三二七円並びに昭和五九年以降毎六月一五日限り金三三万三八三〇円及び毎一二月二一日限り金四三万九二五〇円を支払え。

4  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  控訴の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のうち控訴人関係部分記載のとおりであるから、これを引用する。

(当審における主張)

一  控訴人

1 以下の諸事実を総合すると、被控訴人が主張する本件雇用契約における「期間の定め」は、形式的なものにすぎず、本件雇用契約は、期間の定めのない雇用契約である。したがって、本件雇用契約を終了させるためには「正当事由」が必要である。

(一) 控訴人が被控訴人に対して提供する労働は、いうまでもなく教育労働であるが、教育労働は、生徒に直接働きかけてその人格を形成するという極めて重要かつ継続的なものであり、それは、長期的展望のなかで継続的・持続的に行われなければならないから、その意味で、教育労働は、持続的・継続的性質をもっているといわなければならない。したがって、このような教育労働について一年というような短期の有期雇用契約は特殊な場合を除いて極めて不合理なものであり、学校教育の実態に合わないものである。そして、本件高校の教員(教諭・常勤講師・非常勤講師)総数五二名中教諭は僅かに三三名にすぎず、そのため、本件高校では教諭だけでは生徒に対する責任ある教育はできず、常勤講師にも教諭の役割を期待せざるを得ないし、実際にも常勤講師は教諭と同質のものに位置付けられ、教諭と同じ職務に従事していた。また、本件高校の常勤講師は、形式上は一年の有期限になっているけれども、実際には結婚などの自己都合退職を別にすれば、形式どおりに一年で期限切れということにはなっておらず、実態は更新により期間の定めがない取扱と変わらなくなっていた。本件雇用契約は、このような本件高校の常勤講師の実態を前提に行われたものであって、控訴人のみならず被控訴人側にも一年の期限到来で自動的に雇用契約が消滅するという認識はなかったのであり、控訴人も当然に本件高校に将来にわたって勤務する意思で本件雇用契約に及んだものである。

(二) 控訴人は、当時本件高校の城哲也教諭(以下「城教諭」という。)の紹介により本件高校の常勤講師として採用されたが、その際、城教諭から当時の被控訴人の内藤宏理事長(以下「内藤理事長」という。)の意向として控訴人をいずれ教諭として採用する腹づもりである旨告げられた。本件雇用契約が一年の有期限契約である旨の辞令、念書、誓約書はいずれも昭和五七年四月以降の文書であって、本件雇用契約の当初のものではない。

(三) 控訴人は、本件高校においてはクラス担任のほかにテニス部顧問、生活指導校外主任、青少年補導委員などいずれも本件高校の教育活動や学校運営の本質的部分を受け持っていたが、これら本質的部分を担う常勤講師は、契約の形式上は一年であっても、実際は自己都合による退職以外は更新が繰り返され、実質的には期間の定めのないものと同じ状態になっていたものであり、控訴人の場合もこの例外ではなかった。また、内藤理事長の発案により、特に成績の悪い推薦入学組を一クラスに編成して特別に情熱を持った教師に一年から三年まで一貫して受け持たせ、それによって底上げを図るべく設けられた特別クラスを、被控訴人は、昭和五七年四月から内藤理事長の意向で担任することになった。もし、控訴人の雇用期間が文字どおり一年限りであるならば、少なくともこのような特別クラスの担任になるはずはなかったものである。したがって、控訴人が特別クラスの担任になった時点において、本件雇用契約は、その形式はともかく、その実質においては教諭と同じく期間の定めのないものと認識されていた。

(四) 控訴人は、昭和五六年五月内藤理事長に教諭としての採用を頼んだところ、内藤理事長は、直接の返事をしなかったものの、いずれは採用してもいいだろうという雰囲気だったばかりでなく、同年九月再度教諭としての採用を頼んだところ、これに了解の意思を示した。また、昭和五七年二月二六日ころ、被控訴人から控訴人に対して第一回目の期限切れを知らせる「お知らせ」と題する書面が交付されたが、内藤理事長は、控訴人に対して「これは一応形式だから心配はいらん」と返事した。これらの事実は、控訴人についての一年の期間の定めが一応の形式にすぎず、その実質においては控訴人をして本件雇用契約が継続的雇用契約であると信じさせるに充分なものがあった。なお、被控訴人は、昭和五七年一〇月父母を対象としたコース説明会において、控訴人の受け持つ特別クラスについて、木野教頭を通じて、特別クラスは学校の方針で一年、二年、三年とコースに関係なく担任が一緒になって持ち上がっていくという説明をし、父母に対し、控訴人に特別クラスを昭和六〇年三月まで担任させることを約束した。

(五) 本件雇用契約は、形式上昭和五六年四月一〇日から昭和五七年三月二五日まで、同年四月五日から昭和五八年三月二五日まで、同年四月九日から昭和五九年三月二六日までとなっており、これを文字どおり形式的にみると、それぞれ春休み期間中である昭和五七年三月二六日から同年四月四日まで、昭和五八年三月二六日から同年四月八日までの期間は雇用期間ではないことになるが、その間も、控訴人は本件高校のクラブ活動の指導、学習指導要録の作成など教員の本務中の本務ともいうべき業務に従事した。これらは短期雇用契約に付随するものというものではなく、このような業務をせざるをえない地位に控訴人を置いておくこと自体、本件雇用契約の期間の定めが単なる形式にすぎないものであることを示している。また、この間の給与として三月分及び四月分とも何ら減額されることなく全額支給されたこともこれを裏付けるものである。

(六) 控訴人は、昭和五七年四月被控訴人から念書の作成・提出を求められた際、この念書はそれまでの内藤理事長の言動からして一応形式的なものにすぎないと判断したものであり、その翌年に作成した誓約書も右念書と全く同性質のものと考えていた。この念書が作成された昭和五七年度当初や誓約書が作成された昭和五八年度当初は、控訴人が持ち上がりを前提とした特別クラスを受け持って、いよいよ本件高校の教員として実質的には教諭と変わらない職務を軌道に乗せていたときであるから、控訴人がこのように念書や誓約書を一応の形式にすぎないと理解したのも当然である。

2 仮に、本件雇用契約に被控訴人が主張するような期間の定めがあるものとしても、前記1の(一)ないし(六)に挙げた諸事実を総合すると、本件雇用契約は、少なくとも相当程度の継続が期待されたものであるから、これを継続しない本件雇止めにおいては、それに相応しい「特別の事情」が必要と解するのが相当である。

3 しかしながら、本件では、本件雇用契約を雇用期間の定めがないものとしてこれを終了させるに必要な「正当事由」も、あるいは、雇用期間の定めがあるものとして、本件雇止めに必要な「特別の事情」もないので、控訴人は、未だ被控訴人との間に本件雇用契約上の地位を有していることになる。すなわち、被控訴人は、控訴人に対する本件雇止めの実質的理由として昭和五九年度入学生徒数の減少を挙げているが、これは単なる口実であって、真の理由ではない。このことは、控訴人に対する本件雇止めが入学生徒数が判明する以前である同年三月初めには被控訴人の方針として定まっていたことから明らかである。また、本件においては、右の「正当事由」ないし「特別の事情」は、過剰人員又は学校経営上の必要性に基づくものでなければならないが、その主張・立証責任は当然被控訴人に属するところ、被控訴人が主張しているのは、前記のように昭和五九年度の入学生徒数の減少だけである。しかし、入学生徒数の減少が直ちに過剰人員を生み出すわけではなく、また、直ちに人員整理をしなければ学校経営を困難にするわけでもないから、被控訴人はこの責任を十分に尽くしたとはいえず、結局、「正当事由」も「特別の事情」もないものと判断すべきである。

二  被控訴人

控訴人の右主張事実を争う。なかでも、控訴人は、その新規採用時ないしその後の経過において、内藤理事長が本件雇用契約の期間は形式的なものである旨説明したとか控訴人を将来本件高校の教諭として採用する旨言明又は示唆したとか主張するが、そのような事実は全くない。また、控訴人は、特別クラス担任は三年間持ち上がりが原則であった旨主張するが、本件高校においては、二年次において普通コース、進学コース等の進路によってクラス再編をするため、三年持ち上がりが原則ということはない。更に、控訴人は、本件で作成された念書や誓約書について、形式的なものにすぎない旨主張するが、右念書等は控訴人がいたずらに将来を期待することにより生ずべき紛争を未然に防止するため、相互の意思を確認する意味でわざわざ作成したものであるから、形式的なものである筈がない。そして、この念書や誓約書のみならず、控訴人に対しては、採用辞令の記載、期限前の契約終了の通知等によっても本件雇用契約の期間の定めについての被控訴人の意思は明確に表示されているのであり、控訴人も被控訴人の意思を明確に認識していたものである。

第三証拠関係

当審における証拠関係が当審記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(略)。

理由

一  当裁判所は、当審における新たな証拠調べの結果を参酌しても、控訴人の本訴請求は失当であり、全て棄却を免れないと判断するものであるが、その理由は、左に付加、訂正するほか、原判決理由中控訴人関係部分説示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

1  (控訴人の当審における主張について)

(一)  先ず、控訴人と被控訴人との間の雇用契約に期間の定めが存在したか否かについて判断する。

(1) (証拠・人証略)並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められ、(人証略)中この認定に反する部分は右証拠と対比して採用できず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

(イ) 被控訴人の就業規則(以下「本件就業規則」という。)においては、昭和五六年四月当時、その規律の対象となる本件高校の職員として、常時勤務する教員、事務員および雇用員と定められていたが、実際上被控訴人が本件高校に採用していた教員には、その雇用契約の内容により、教諭、講師及び時間講師の三種があった。教諭は、期間の定めのない雇用契約によって採用される教員であり、採用にあたっては、「本学園尚絅高等学校教諭を委嘱する」旨の記載ある辞令及び「・・等級・・号給を給する。」旨の記載ある給与辞令が当該教諭に交付された。講師は、昭和五八年四月から採用された試用期間付講師と異なり、将来教諭となることを前提としない一年未満の雇用期間の定めのもとに採用される教員であり、採用の際には、教諭の場合と異なる「本学園尚絅高等学校講師を委嘱する(雇傭期間自昭和・年・月・日至昭和・年・月・日の間)」との記載がある採用辞令及び教諭や試用期間付講師の場合と異なる「給与月額・・・円を給する。」との記載がある給与辞令が交付された。時間講師は、一学年間授業時間割により、特定の授業を担当する教員であり、雇用期間は、四月当該学年度最初の授業時より翌年三月当該学年度の授業終了時までであって、その服務規律などを定める規程を本件就業規則とは別個に設けていた。

被控訴人は、本件高校のクラス担当やクラブ顧問、その他の校務分掌のすべてを教諭(昭和五八年四月以降は試用期間付講師を含む。)でまかなうことは生徒数の如何によっては学校経営が悪化し、健全な学校運営が不可能となることを理由に、以前より講師を採用してきたものであるが、講師にも教諭と同様にクラス担当やクラブ顧問、その他の校務分掌を担当させていたばかりでなく、その勤務時間も教諭とほとんど同様であった。

(ロ) 控訴人は、昭和四一年三月日本体育大学体育学部体育学科を卒業した後、千葉県にある私立市川学園高校の体育担当の教諭として採用されたが、昭和五五年三月同校を退職して郷里である熊本市に帰るとともに熊本市立西山中学校に臨時採用教員として勤務していたところ、昭和五六年二月、友人を通じて知り合った本件高校の城教諭(当審和解成立前の相控訴人)の紹介により内藤理事長の面接を受け、同年四月から本件高校の講師として採用されることとなり、同年四月一〇日被控訴人から雇用期間が同日から翌年三月二五日までである旨の記載ある採用辞令の交付を受けて本件高校の保健体育担当の講師として勤務することになった。そして、控訴人は、昭和五六年度の業務としては、保健体育の授業(週持ち時間一一時間)を担当する傍ら、クラスの副担任、テニス部顧問に就任するとともに、校務分掌として生徒課校外生活指導係を受け持っていた。

(ハ) 被控訴人は、昭和五七年二月二六日、「お知らせ」と題する「あなたとの雇傭期間は来る昭和五七年三月二五日で切れますので、退職日は同年三月二五日となります。」との記載がある内藤理事長名義の控訴人宛の文書(証拠略)を控訴人に送付し、更に、同年三月二五日「雇傭期間満了に依り本職を免ずる」旨の退職辞令を控訴人に交付した。

(ニ) 控訴人は、昭和五七年三月二二、三日ころ、内藤理事長から、昭和五七年度は前年度より実施された特定の推薦入学者でもって編成する特別クラスの一年生担任に控訴人が就任する旨が伝えられ、春休み期間中の同月二五日以降も他の教諭と同様にテニス部顧問としての指導などに携わっていた。そして、同年四月五日、被控訴人は、控訴人に対して「雇傭期間自昭和五七年四月五日至昭和五八年三月二五日の間」との記載ある講師の採用辞令を発令し、同月七日、控訴人は、被控訴人に対し、「この雇傭契約は、私立高校過疎化の実情から入学者の数不安定を考慮してなされ、特に期間を定めた契約であることを双方確認の上締結したものである。期間自昭和五七年四月五日至昭和五八年三月二五日」と記載された念書(証拠略)に署名・捺印して提出した。控訴人は、昭和五七年度の業務としては、前年度と同様に保健体育の授業(週持ち時間一四時間)を担当する傍ら、前記特別クラスである一年七組のクラス担任になると同時に、テニス部顧問や生徒課校外生活指導係主任としての校務分掌を担当し、併せて本件高校の推薦により城教諭とともに熊本市青少年補導委員(期間昭和五七年四月一日より昭和五八年三月三一日まで)を委嘱されていた。

(ホ) 昭和五七年一〇月二〇日、本件高校の運営委員会において、昭和五八年度のクラス編成が検討された際、内藤理事長は、前記推薦入学者でもって編成した特別クラスを三年間は継続する方針を表明するとともに一年七組の特別クラスをクラス担任である控訴人にそのまま持ち上がらせることを承認するやにとれる発言をした事実はあるが、右発言の真意が特別クラスの担任は原則として三年間変更すべからざることに力点をおく趣旨であって、控訴人を次年度も雇用する趣旨でないことは、右発言の前後の経緯、就中、当該運営委員会の議題が次年度のクラス編成であって控訴人の身分等人事案件でないこと及び控訴人の雇用関係が昭和五八年三月二五日で終了することは当該委員会のなかで当然の前提として承知されていたことに照らして控訴人にも被控訴人にも自から明らかであった。

(ヘ) 控訴人は、昭和五八年三月二五日、内藤理事長から「雇傭期間満了に依り本職を免ずる。」旨の記載ある退職辞令(証拠略)を校長室において交付されたが、そのままクラス担任やテニス部顧問としての業務に従事したり、同月三〇日の職員会議に出席した。そして、同月三一日、控訴人は、内藤理事長から、校長室において、「この期間を定めた雇傭契約は、私立学校過疎化の実情を考慮して為される期間を定めたものであることを双方確認の上締結されたものである。期間終了後、問題を生ずるようなことは決していたしません。期間(自)昭和五八年四月九日(至)昭和五九年三月二六日」旨の誓約書(証拠略)を作成して署名・捺印の上提出することを求められたので、これに応じた。控訴人は、昭和五八年度の業務としては、前年度と同様に保健体育の授業(週持ち時間一五時間)を担当する傍ら、前記特別クラスである二年六組のクラス担任、前年度と同様のテニス部顧問や校務分掌としての生徒課校外生活指導係主任を担当し、併せて本件高校の推薦により城教諭とともに熊本市青少年補導委員(期間昭和五八年五月一日より昭和五九年四月三〇日まで)を委嘱されていた。

なお、被控訴人は、昭和五八年四月、本件高校の教員として、それまでの教諭、講師及び時間講師のほかに、将来教諭になることを予定して試用期間一年で採用される試用期間付講師を初めて三名採用した。

(ト) 控訴人は、昭和五九年三月二六日、被控訴人から「雇傭期間満了に依り本職を免ずる」旨の記載ある退職辞令の交付を受けるとともに、退職慰労金として金一五万円が支給された。その後、控訴人は、同年四月四日、控訴人の義姉とともに、入院中の内藤理事長にかわって本件高校の江口副校長、徳永事務局長と会った際、同人らから、昭和五八年度の雇用契約は昭和五九年三月二六日で期限切れとなって控訴人は既に退職していること、昭和五九年度は入学者数が定員四〇〇名に対し二八〇数名しかないので新たに控訴人を雇傭することはできない旨を了承するようにとの内藤理事長の意向が伝えられたが、これを拒否し、同月一六日ころ右退職慰労金一五万円を被控訴人に返戻した。一方、被控訴人は、同年四月、伝統あるバスケット部の強化のため、保健体育担当の時間講師として新任一名を採用したので、本件高校における昭和五九年度の保健体育担当教員数は同五八年度同様五名となった。

以上の事実が認められる。

(2) 右(1)の(イ)ないし(ト)認定の事実によれば、控訴人と被控訴人間においては、雇用期間として、第一回目は昭和五六年四月一〇日から翌五七年三月二五日までを、第二回目は同年四月五日から翌五八年三月二五日までを、第三回目は同年四月九日から翌五九年三月二六日までをそれぞれ合意した三回の雇用契約が繰り返されたことが明らかであり、その各雇用契約に期間の定めがあることは疑う余地がない。

(3) 控訴人は、当審において、雇用契約前後の経緯ないし控訴人の勤務の実態を捉えて本件雇用契約の実質は期間の定めがないものである旨縷々強調するが、そのいずれもが期間を一年未満と合意した講師の雇用契約の内容又は附随業務として当然あるべき筈のものであり、それが故に雇用期間を一年未満と約定した明確な合意を無視して契約の実質が期間の定めのないものである旨理由づける根拠となるべき性格、内容のものとは認めがたいか証拠上信用できない内藤理事長らの言動を根拠として主張するものであって、採用することができない。

(二)  次に、控訴人は、仮に本件雇用契約に期間の定めがあるとしても、本件雇用契約においては、少なくとも相当程度の雇用継続が期待されたからいわゆる雇止めに当たってはそれ相応の「特別の事情」が必要である旨抗争するが、前認定の事実によれば、控訴人の希望的観測は兎も角として、客観的にみる限りにおいて、本件各雇用契約が雇用期間を一年未満とする明確な合意に反して相当程度の継続が期待される状況にあったとは到底認めがたく、この点は前後三回の契約を第一回目の契約の更新とみようと三個の契約とみようと変りはないというべきであるから、控訴人の右主張は所詮採用の限りでない。

(三)  以上のとおり、本件雇用契約は期間の定めがある契約であり、雇止めに特別の事情を必要とする理由もないのであるから、期間の満了により契約が終了すべきことは至極当然の事理に属するが、控訴人において本件雇止めの真因は被控訴人が指摘する昭和五九年度入学生徒数の減少などではなく、これは単なる口実にすぎない旨主張するので、以下この点について当裁判所の若干の見解を念のため補足する。

元来契約終了後に新たな契約締結をしない理由につき一方当事者が種々論つらうこと自体無意味であるが、この点は敢て暫く措くとして、(証拠略)によれば本件高校の生徒数、クラス数とも昭和五九年度は従前と較べて減少したことが認められるところからすれば、もともと学校経営の縮少悪化に備えて採用されている講師がそれを理由に雇止めされることが一概に不当な処理として非難される筋合いはない。しかしながら、本件の場合、雇止めの真因ないし一因が学校経営の縮少悪化というよりも、被控訴人が当審和解成立前の相控訴人城哲也に対し昭和五八年一一月二四日なした教諭解雇処分につき控訴人が被控訴人の意に反して城哲也の処分撤回運動を支援した事実にあることは前認定のような昭和五九年度における保健体育担当講師の補充の一事によっても明白である。ただ、本件記録から窺えるとおり、城の高校教諭としてあるまじき粗暴にして非常識な言動の数々とそれを理由とする解雇処分の正当性に着目すれば、敢て城の解雇処分撤回運動を支援した控訴人の所為は、控訴人と城との個人的関係を考慮しても、なお被控訴人にとって充分雇止めに価するものとして評価すべき性質、程度のものであったということができる。したがって、本件雇止めの真因ないし一因が控訴人の城哲也支援運動を嫌った結果であるとしても、それが故に本件雇止めを不当ということはできないし、ましてや前示のとおり、雇止めの原因如何に拘らず、本件雇用契約が昭和五九年三月二六日の経過とともに終了すべきものである以上、本件雇止めの原因を彼此詮索しても、法律的には所詮無意味な議論というほかはない。この点の控訴人の主張も結局採るに足らざるものである。

2  (原判決の訂正)

(一)  原判決三七枚目裏二行目の「原告両名」(本誌五六〇号〈以下同じ〉18頁2段24行目)から同一三行目の「過ぎず」(18頁3段4行目)までを「控訴人の本件雇用契約は前後三回であるに過ぎず」と改める。

(二)  同三八枚目表三行目の「これに」(18頁3段10行目)から同七行目の「考え併せれば」(18頁3段16行目)までを「これに、本件高校の教諭と講師とでは、採用辞令の形式、雇用期間の有無、給与体系などの点で異なった取扱がされている事実や昭和五八年四月から本件高校には講師のほかに将来教諭になることが予定されている試用期間付講師が初めて採用された事実などを考え併せれば」と、同一二行目の「成立に争いのない乙第五九号証によれば」(18頁3段23行目の(証拠略))を「前記認定のように」と、同枚目裏三行目冒頭(18頁3段30行目)から同四行目の「によれば」(18頁3段31行目)までを「もないが、他方、」とそれぞれ改める。

(三)  同三九枚目裏二行目から同三行目の「成立に争いのない乙第五五、第六七、第八九号証」(19頁1段5行目の(証拠略))を「前記乙第五五号証と成立に争いのない乙第六七、第八九号証」と改める。

二  よって、右と同旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鍋山健 裁判官 松島茂敏 裁判官 中山弘幸)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例